最新刊


ダム建設と大合併で過疎に拍車をかけられながらも

独自の人間文化を醸成してきた秩父から決して失われないもの

失ってはいけないものの貴重さに気づかされる!

 

 

天空の限界集落 

秩父[浦山・太田部・大滝]に生きる人びと

 

 

山口 美智子  著

 

 

◆ 発行:2023年10月

◆ 判型:四六判・上製

◆ 頁数:368頁+口絵(4Cカラー写真)4頁 

◆ ISBN978-4-87196-092-2

◆ 定価:3,000円+税

 

■内容紹介■

 

失われゆく秩父 失われない秩父

 

山間のトンネルを抜けると、さらに高い山、山、山……ここは秩父の高所地帯(天空)。

山の頂が塞ぐ狭い空の下に現れる3つの小さな限界集落――「浦山」「太田部」「大滝」。

ダム建設と大合併で過疎に拍車をかけられながらも、そこで暮らす人びとは、

厳しい自然の中で育まれた揺るぎない絆で扶(たす)け合い、豊かに生きる。

 

著者は秩父で生まれ育ち、三集落が最も賑わっていたころの様子も見てきた。

そのため、活力を失ってゆく三集落に特段の想いを馳せながら、

そこで生きてきた古くを知る24人の老男女に、5年をかけて話を聞き、

その言葉を丹念に綴っていく。

秩父に根を下ろした「聞き手」と「話し手」の深い関係性から、

素朴でたおやかな言の葉が紡がれる。

 

一人の人間がその集落でどう生き抜いてきたか、

どのような「金取り仕事」で生活を支えてきたのか、

数日間にわたる「ご祝儀(婚礼儀式)」など冠婚葬祭や伝統文化、信仰、

瞽女の訪問や民話にまで話は広がる。

 

一読すれば、急変する時代や理不尽な社会状況に翻弄されながらも、

それでも力強く生きる人びとの血肉の通った一言一句に、思わず目をひらかれる。

そして、独自の人間文化を醸成してきた秩父から決して失われないもの、

失ってはいけないものの貴重さにも気づかされる。

この本で、天空の限界集落に住む人びとの生き様を目にすると、

ほんとうの幸せな生とは何か、考えざるを得ないだろう。

 

■著者紹介■

 

山口 美智子(やまぐち・みちこ)

 

1945年、埼玉県生まれ。東京アナウンス学院卒業。73年ごろから8ミリカメラでドキュメント作品を撮り始め、『秩父事件』などを制作。『撥の女』で第3回ひろしま国際アマチュア映画祭優秀賞受賞、『塚越の花まつり』で第7回日本映像フェスティバル8ミリの部優秀賞受賞。

 

著書に、『機と秩父――戦前・戦後/布文化に生きた53名の記録 機元から職人まで』(さきたま出版会)、『壊れかけた更年期――エイジングトンネル―10年の闇、そして光へ』(一葉社)、『村とダム――水没する秩父の暮らし』(すずさわ書店)がある。

 

■もくじ■

 

 はじめに

 埼玉県全図

 

●浦 山

 

  浦山地区全図/人口・戸数変動表 

  浦山について

 

こんな山ん中に住んでいても、いまは野菜が全然取れねんさあ。

だって獣がみんな食っちゃうんだから……/浅見ヨシエ    

 

俺は生まれも育ちも川俣で、生粋の浦山人ですよ。

親父は戦死して……まあ戦争なんかするもんじゃあねえんだよ。/中山登喜夫  

 

私は他所者でしょう。父親は秩父の大野原で生まれ、母は群馬の人だったから……

だから姑は、生粋の「浦山人」で無い私を貰いたくなかったんさあ。/中山道子

 

浦山という所にはいろんな話がえら(たくさん)あったんですよ。

それは日本一の大泥棒に、日本一の詐欺師という話なんだけど……/高橋庄平

 

私は浦山の奥の「冠岩」という所で生まれたんだけど、

歴史が古く、我々の祖先は「平家の落人だった」という話が……/上林二三男

 

私は嫁に来て、まさか三十キロもある米運びをするとは夢にも思わなかったよ。

細い傾斜の山道を登ったり下りたり……家に辿り着く頃にはもうへとへと……/原島泰子

 

俺は四十二歳から五十歳頃まで、他所へ仕事に出た事もあったんですよ。

山関係の仕事で「秩父セメント」の下請け会社の不動産管理を任されたんです。/浅見博一

 

わたしの家は山ん中だから、道が狭く曲がりくねって片側は崖でけち(不便)な道だけど、

あんたはよく車で登って来たいねえ……/浅見 泉

 

●太田部

 

  太田部地区概念図/人口・戸数変動表

  太田部について

 

うちには山がえら(たくさん)あって林業で生計を立てていたんだいね。所帯を持ってからは

旦那の後をくっ付いて杉の苗木を植えたんだけど、下手くそで……/久保美富

                                   

うちが此処へ嫁に来た時、この家じゃあ「三角割り飯」を食っていたんさあ。

「三角割り飯」というのは、ボソボソして美味くねえんだよ。/新井みろく

 

昭和四十年代に「下久保ダム」が出来て十軒近く減り、

それが過疎に繋がる始まりだったんだよ。寂しいもんだいなあ……/新井辰信

 

これまで姑さまには散々弄られてきた様な気がしたったけど、いま考えてみりゃあ

有難かったんだよ。つましく生きるという事を教えてくれたんだから……/新井末子

 

人間世に生まれ出て苦労と闘いながら生涯過ごすんだから、

苦労をしに世の中へ出て来たようなもんだよ……/黒沢有恭

 

群馬から「太田部」へ嫁に来て、はあ(もう)五十年以上も経つんだけど、

秩父のことは殆ど知らねえねえ。太田部は秩父市なんだけど……/本田みち子

 

最近「太田部」じゃあ、道を歩いていたって誰にも会わねえし、

いま子供は一人も居ねえんだから、危機感はあらいねえ。/上井伸夫

 

人間の人生なんか「すごろく」じゃあねえけど、

何時どう転ぶか、最後まで分からねえんだいなあ。/新井 力

 

●大 滝

 

  大滝地区概念図/人口・戸数変動表

  大滝について

 

大滝が過疎化してきた一つは「滝沢ダム」。あれは駄目だったなあ。

それにもう一つは、大滝村が秩父市へ合併したという事ですよ。/千島 茂

 

「滝沢ダム」が出来て、やっぱり急速に過疎化が進み、

三十軒あったわしらの耕地も、十軒ごっそり無くなりましたからねえ。/木村一夫

 

中津川は本当に山奥だけど、鉱山が近くにあったお陰で、

「文明は奥から」という言葉のように、新しい文化がどんどん入ってきました。/山中寛二郎

 

わたしはこれまで「栃本」からほかの土地へ行って住みてえなんて考えるほど、

余裕はなかったいねえ。九十年生きてりゃあいろんなことがありましたよ。/沢登千代子

 

俺は「栃本」に生まれ住み、「何時が大変だったか」と聞かれれば、

以前も、今も、これからも、ここに住むこと自体が大変なことなんだよ。/山中宇一

 

わたしゃあ中津川の「中双里」で生まれ、縁あってこの「栃本」に嫁に来たんだが、

「他所へ出て暮らしてみてえ」なんて、一度も思ったこたあなかったよ。/山中禧子

 

いま考えてみると、おれは自分で好きな人と所帯を持ち好きな事が出来たんだから、

こんな山ん中で一生過ごしてきたけど、まあ、幸福な人生でしたよ。/原田秀雄

 

「川又」は大正時代になってから人が入り、新しく出来た人里だそうだから、

まだ百年ぐらいなもんで、明治頃までは原生林の麓だったそうですよ。/原田政雄

 

  おわりに

  主な参考文献